君が隣にいるだけで 何だって出来る気がしているよ You're my holy love

最遊記 Medicine


西へ向かう三蔵法師一行。
その足となるジープの、リアシートの定員が一人増えたのはつい先日のこと。
ブルーブラックの髪をなびかせた蒼い瞳の女────は、隣で繰り広げられるドツキ漫才を穏やかな瞳で眺めていた。

ふと前方を見た。助手席には後ろの騒ぎに不機嫌な三蔵の横顔。
そしてミラー越しに見える、いつにも増した笑みをたたえた運転席の八戒。
彼女の瞳が眇められた。

「八戒、停めて」
急な言葉に咄嗟に対応できなかったのか、暫くの間を置いてジープが停められる。
「どしたのチャン?…おトイレ?」
ストレートな悟浄の言葉に助手席からハリセンの一撃。
それには構わずはジープから降りて運転席の横に立ち、運転手に手を差し伸べた。
「降りて八戒。悟浄運転お願い」
指名された二人は…否、ジープに乗る全員がきょとん、とした表情を浮かべる。
?突然どうしました?」
笑みを絶やさずに問いかける八戒の腕を、は掴んで引きずり降ろした。
どさり、と二人がもつれ込んで倒れる。
「何よこの熱!やっぱ体調悪いんじゃない!!
 女の細腕で引き倒されちゃうほどふらついてんのに、運転なんてしてんじゃないわよ!」
八戒の身体の下で、が怒鳴る。
「大丈夫ですよ。たいしたことはあ…」
「却下。事故られたらたまらないわ。ね?三蔵」
ありませんから、と続けようとした八戒の台詞を遮って、は最終ジャッジを三蔵に求めた。
「…悟浄、代われ」
三蔵が悟浄に命令することでに同意する。
「悟空。この人リアに放り込んじゃって」
その言葉に弾かれたように悟浄と悟空が動く。

リアシートに引き上げられた八戒の隣には座った。
動き出したジープの風から八戒を護るように、の腕がその身体を毛布越しに抱き、引き寄せる。
『嬉しいですけど…ちょっと不本意ですねぇ…』
護りたいのはこちらなのに。八戒が胸の内でぼやく。
「…どうして、バレちゃったんですか?」
に凭れた八戒が、力無く呟く。
「………………………………教えない。次からバレないようにしようとするでしょ?」
の言葉に、八戒は「…ははっ」と力無く笑って目を閉じた。


その日はそれから何ごともなく、無事に次の街で宿をとることができた。
とれた部屋は二人部屋が2つと一人部屋が1つ。
常ならばこういう部屋割りの場合一人部屋に入るだが、今日はそれを三蔵に譲り、
もう大丈夫、と言い張る八戒をベッドに押し込め、その見張りを悟空に頼んで、
悟浄を伴って買い出し洗濯その他普段八戒が仕切る雑事をこなしに出かける。

「…ってば、怖ぇ…」
宿に入る前にが露店で購入し、彼女からあてがわれた肉饅を囓りながらぽつりと悟空が言った。
なにが怖いと言って、普段八戒から感じる有無を言わさぬ強制力よりも、
更に上回るも迫力を彼女からひしひしと感じることなのだが。
「怒らせて、しまいましたね」
天井を見上げながら、八戒が応じる。
「怒ってる、っていうかさぁ」
悲しんでいる、もしくは憤っている。そちらに近いのではないかと悟空は思う。
でもそのコトバも違う気がする。
もっともしっくりくるコトバが見あたらなくて口にすることはなかったが。

「なんで解ったの?チャン」
こちらは買い出し中の悟浄。購入品を選ぶ手を止め、が一瞬考え込む。
「う〜ん…愛のチカラ?」
「………………………………………………………………へぇへぇ、ご馳走さん」
臆面もない台詞にげんなりとした悟浄が煙草を銜える。
「ドライバーって、疲れると前方に視点が集中するでしょ?
 あちこちミラーとか見るのを忘れちゃうっていうか、そういう余裕が無くなるっていうか」
言われて「ああ」と納得するのは自身も運転をする悟浄だからか。
「…………俺ンときも気付いてくれる?」
次いで口をついて出たのはそんな戯言。なのに紅玉の瞳に宿る光は真摯で。
「愛のチカラで?」
「愛のチカラで」
の一番は揺るがなくても。
おこぼれの愛でいいなんて、卑屈なことはいうつもりはないけど。
「気付くよ。ちゃんと。…でもそうなる前にちゃんと言って欲しいな」
曇り無い笑みで、頭ひとつ高い悟浄の顔を見上げては言った。

「う〜〜〜〜腹減ったぁ…」
外が薄暗くなる頃。病人の枕元でうなる小猿が一匹。
から与えられた肉饅を平らげて30分と経っていないのだが。
「もう食事もできる頃でしょうし、食べに行っていいですよ」
「ダメ。から言われたもん。“あたしが戻ってくるまで八戒見張ってて”って」
八戒からの魅力的な提案を一言ではねつける。食べ物が絡んだ悟空にしては希有のことである。
『影力の強い女性ですねぇ…』
八戒は彼の人を想う。
元々人なつっこい悟空はもとより、あの三蔵までも彼女の言には耳を傾ける。
驚くべきは“が望まないから”と彼女を口説かない事を是としている悟浄だろう。
逆に言えばそれだけ本気、とも言えるのだが。
『だからと言って、僕も退く訳にはいきませんから』
脳裏に浮かぶ恩義もある親友の姿に向かって宣言する八戒。

コンコン。
部屋のドアがノックされ、許可を待たずに開かれる。
食事の載ったトレイを片手に、が入ってきた。
鼻孔をくすぐる美味そうな匂いに、悟空が反応する。
「悟空ありがと。遅くなってごめんね。厨房借りてお粥作ってたらこんな時間になっちゃった。
 三蔵と悟浄は下の食堂で食事とるそうだから、悟空も行ってらっしゃい。
 八戒とあたしはここで食べるから、あんまり悟浄と騒いで三蔵怒らせちゃダメだよ」
制止役いないからね、と笑うに「おう」と答えて悟空が階下へ駆け出した。

はサイドテーブルにトレイを置き、八戒が起きあがるのを手伝うと、その額に手を当てた。
「熱はさがったみたいね。食欲は?
 お粥以外にも食べれるものがあったら持ってっちゃっていいからね」
そういうの皿には、油分が少なく柔らかい、病人でも充分食べられるもののみが用意されている。
最初からそのつもりだったのだろう。
「すみません。
八戒の口から謝罪の言葉が紡ぎ出される。
「“大丈夫です”と“ごめんなさい”禁止」
ぽつり、とが言った。
「…………怒ってます?…よね…」
恐る恐る、八戒が訊ねる。
「大丈夫じゃないのに“大丈夫だ”っていうの、嘘つきだよね」
悟空が座っていた椅子をベッドの間近に寄せて座る
「嘘つかれたの悲しいし、笑顔に騙されてたの悔しいし、
 体調悪くなる前になんとかできなかったの情けないし…なんだか訳わかんなくなっちゃった…」
「…………すみません」
「謝るな、って言った」
「…………」
の強い口調に気圧されて八戒は何も言えなくなる。

「あたし、八戒の笑顔、好きだよ。
 楽しいときの笑顔が好き。
 戦っているときは安心できるし。
 怒ってるときもね…怖いけどいいの。
 でも…………」
不意にの腕が八戒に向けて伸ばされ、抱き寄せたとも縋り付いたともつかない位置で
その腕が背中に廻される。
「辛いときは笑わないで。具合が悪いならそう言って。
 側にいるから…何かできる筈なんだから…………」
…………ありがとうございます」
八戒の腕がの身体を抱き返す。
腕中の想い人が悲しがっているのに、悔しがっているのに。
これほどまでに嬉しい。
「今度からは具合が悪いときにはちゃんと言います」
「…うん」
「いろいろとお手伝いお願いしますけど…頼りにしていいですか?」
「うん」
「…側にいてくださいね」
「うん…あの………八戒?なんで…こんな姿勢なの?」
いつの間にか引き寄せられ、八戒の膝の上に座らされたが戸惑いながら訊ねる。
「いけませんか?」
「…………お粥…冷めちゃう…」
おずおずと食事を言い訳にするに、八戒は笑みを堪えられない。
「それは勿体ないですね。せっかくが僕の為に作ってくださったのに」
惜しみながらの身体を解放する。
はほっとしたように立ち上がり、サイドテーブルの粥の皿を八戒に手渡した。

「ごちそうさまでした…美味しかったですよ」
卵と葱のシンプルな粥。程良く効いた塩加減が味を引き締めている。
「よかった♪」
心底嬉しそうな笑顔を見せる。食器を八戒から受け取り、食堂に返しに行く。
暫くして戻ってきたは、空いているベッドを八戒のベッドに寄せ始めた。
「…?何をしているんですか?」
「だって、近い方が寝ている間に何かあったとき判りやすいでしょ?」
看病の為らしい。
「もう平気ですよ。すっかり休ませて貰いましたから。熱もないでしょう?」
「いいの、あたしがそうしたいんだから」
そんなの様子につい悪戯心をくすぐられてしまった八戒。
「それならこっちで一緒に寝ませんか?」
途端に、ガンっという、派手な音を立ててが崩れ落ちた。
膝を床にしたたか打ち付けたらしい。
「…………今日は、まだ病人だからダメ」
ベッドの向こうに隠れたまま、がぼそりとつぶやいた。
「今日じゃなければいいんですか?」
「………………………………八戒ってば、意地悪だぁ…」
起きあがらないまま、声がどんどん小さくなる。
「意地悪な僕は嫌いですか?」
「………………………………………………………………嫌いじゃない…よ」
更に小さな声で告げられた言葉に、八戒は心底からの笑みを浮かべた。


Copyright(C)2015 Seiya Houki All rights reserved. designed by flower&clover