sai yu ki
最遊記 act1. 01
「腹減った〜ぁ」
眼前に沈みつつある夕陽を目指して走るジープのリアシートで悟空の情けない声が上がった。
「…煩ぇ!」
次の瞬間、助手席から三蔵の短い言葉と共にハリセンの一撃が悟空の頭に落とされる。
「だって、マジ腹減ったもん〜。なぁ八戒ぃ〜街まであとどのくらい掛かるんだよ〜?」
痛む頭を押さえつつ、運転席に向かって身を乗り出し問いかける悟空。
「そーですね、地図から計算するとあと2時間くらいです。
今日は屋根のあるところで寝られそうですよ」
朝見た地図を思い返して、所要時間を逆算しながら八戒が答えた。その言葉には安堵感が伺える。
昨日まで5日連続の野宿。食糧ももうない。まさにぎりぎりの行程だったのだ。
「にじかん…にじかん…う〜」
その言葉を聞いて悟空はシートに身を沈めた。なんとか我慢できる限界なのだろう。
あまり騒ぐとまた三蔵に殴られる、ということも承知している。
街に着くまで覚えていられる自信はないが。
「今夜はムサい野郎共の顔見て寝ずに済みそーだな」
「あはは、それはこちらも同じ事ですよ。悟浄」
悟浄の言葉に八戒が返す。三蔵は同意すれど腕を組んで目を閉じたまま。
天竺国へ向かう三蔵一行のいつもの光景。
「あれ?誰かいる」
最初に気が付いたのは、常人を遙かに超えた鋭敏な知覚を持つ悟空だった。
「ん?お客さんか?」
口元を上げて剣呑な口調で悟浄が訊く。
「違う。殺気ないし。…女の人だ」
「なに?女?どれどれ?」
途端に目を輝かせて悟空の見ている前方を探す悟浄。
それから約3分後。
「見えたっ!いーオンナじゃん」
ひゅ〜♪と下卑た口笛を吹いて悟浄が言った。
大きな───乗り物が無いということは自力で持ってきたのだろうが、
それが冗談に思えるほど大きな荷物を足下に置き、道ばたの岩に腰掛けてぼんやり夕陽を眺めている女。
年齢は二十歳くらいだろうか。
夕陽を受け朱に染まる光景の中でその髪は薄い紫に映っているが、本来の色彩は青みを帯びた銀だろう。
腰まで伸びたその髪の半ばを、黒いリボンで縛っている。
白のTシャツに紺の綿シャツ、褪せたデニムパンツ。
全てがメンズであるにも拘わらず、それが全く違和感なく『女』であることを妨げていない。
「僕にも見えました。時速90キロで走っていますから…約5キロですか。凄いですねぇ」
悟空はいい猟師さんになれますね、と笑う八戒。
女もジープに気が付いたのか、こちらに向けて軽く手を挙げた。
「ヒッチハイクか?イマドキ?大歓迎だけどな、オレは」
「どうします?三蔵」
八戒が決定権を握る三蔵に振って、ちらりと助手席の方を見た。
『おや?』
普段なら走行中に出会うものに徹底して無関心で面倒はごめんだと断言する三蔵が
眉間に皺を寄せて───これは不機嫌と言うよりむしろ視力のせいだろう───女の方を見ている。
「止まってやれ」
その言葉に驚く悟空と悟浄、そしてジープのブレーキを踏み減速させる八戒。
止まったジープを見ると、女は岩から降りてゆっくりと近づいてきた。
深い蒼の瞳で真っ直ぐに三蔵を見、澄んだ声で話しかける。
「お待ちしておりました、玄奘三蔵法師サマ?」
「…………なんで手前ぇがこんなところにいる?…」
多大な揶揄を含ませた呼びかけと三蔵の反応に、二人が知己であることを知る三人。
「なに?こんなシャンとオシリアイな訳?隅に置けないねぇ、この生ぐ…」
皆まで言わせず、振り上げられた三蔵のハリセンが悟浄の顎をクリーンヒットする。
「プッ…相変わらず短気ね、江りゅ…っと、三蔵サマ」
思わず吹き出した女───に、三蔵がぎろりと紫暗の瞳を向ける。
「はいはい。えっと…なんでこんなところに“いる”かっていうと、
この先の街が3ヶ月ほど前に妖怪の襲撃を受けて街の人みんな疎開しちゃったから。
今はもうすっかりゴーストタウンよ」
その言葉に、げっ、とうなる後部座席二人。
「飯〜ぃ!」
「…また野宿かい…」
悲痛な叫びと呟きを漏らす。
「それで、なんで“こんなところ”にいるかというと…えっと…八戒さん、だよね?地図持ってる?」
「あ、はい」
『どうして僕の名まで知っているんでしょう?』などと思いながら八戒が荷物の中から地図を引っ張り出す。
「この先のY字路で、右に行くと街でしょ?
左に行くと森で今日は野宿になるけど…ほら、こっちの方が次の街に近いの。約1日分。明日の夜には着くわ」
「ああ、なるほど」
進路を決める際に考えたルートだ。結局補給の関係で街に寄るルートを選択したのだけど。
「街まで行くと時間のロスだから、ここで待ってたの」
質問に答えているふりをしながら主旨をそらした答えに、三蔵のこめかみに怒りマークが浮かぶ。
「…………手前ぇ、ワザと言ってやがるだろ」
「ヒドイ言い様ね。あたしはただ物事を順番に言ってるだけよ♪」
にこやかに答えるに、怒りマークを更に増やしながら三蔵は懐を探った。
「…ちっ」
手にあるのは空になったマルボロ。先程最後の一本を吸ってしまったことを今更ながらに思い出した。
握りつぶして放り捨てる。
「お行儀悪いよ、三蔵サマ」
文句を言いながらが拾う。
「煩い。で?」
「もう。…まあいいわ。
で、“なんで”こんなところにいるかっていうと、目的はふたつでワンセット」
そういいながら荷物の所まで戻る。
「ひとつは、街がなくて補給できない、可哀想な玄奘三蔵法師一行にこれをプレゼントすること」
巨大な袋の口をえいっと開ける。
中からこぼれてきたのは、カンパン・缶詰・瓶詰・飲料水・菓子・ビールにカートンのマルボロとハイライト。
「飯っ!」
「喧しい!バカ猿!!…………もうひとつは?」
喜色を浮かべて飛びつこうとした悟空を再びハリセンで制し、三蔵がに問う。
「もうひとつは、玄奘三蔵法師一行と天竺国まで同行し、牛魔王蘇生阻止を共に遂行すること」
「断る」
「ならこの荷物もあたしもここのゴミになるだけだよ」
即答した三蔵に、嗤いながら放言する。
西へ車で一日、東へは五日。とてもではないが歩けたものではない。のたれ死ぬのがオチだ。
「…次の街までは乗せていってやる。そこで降ろす」
「ヤだ。そんな条件じゃ乗れない」
「…………手前ぇ」
「まぁまぁ、三蔵。…ねぇ、さん?同行したいという理由はなんですか?僕たちの旅は危険ですよ」
限界水位をぎりぎりの三蔵を抑えて、八戒がに問う。
「そうらしいね。三日前に、ド派手でスケスケの服着たオネニーサンがうちに来て教えてくれた」
「オネニーサン……それって…観音様か?」
「ん、そー名乗ってた」
呆れたような悟浄ににこやかにかつあっさりと答える。
「そのときに三蔵サマ達についていくことを命じられたってわけ。
こっちも拒否権ないし?三蔵サマに断られたからっておめおめ帰る訳にもいかないし?
あ、因みに自分の身くらい護れるから。ね?三蔵サマ?」
「…」
三蔵が無言で肯定する。
「…連れて行くしかないんじゃないでしょうか?三蔵。
観世音菩薩の命なら、おってこちらにも三仏神から命がくだるでしょうし、
そうなるとここや次の街で残していたら、Uターンして迎えに来ることになりますよ」
二度手間を嫌う三蔵にあえてそう言うことにより同行を認めることを促す八戒。
「…………ちっ…好きにしろ」
不承不承、三蔵が言い捨てる。
「うん、好きにする。
…えっと、背の高いロン毛のお兄さんが悟浄さんで、金色の目の子が悟空くんだよね?
この荷物積むの、手伝って貰える?ハイライトとお菓子は好きにしていいから」
「え?食べていいの?手伝う!!」
「おっけーおっけー、重いだろ?オレと猿に任せていーから。チャンは持たなくていいぜ♪」
「なんか悪いけど…お言葉に甘えるね。ありがと、悟浄さん。悟空くんもお願いね」
ふたりに向けてにっこり微笑む。
側にあった自分の荷物と飲みかけのミネラルウォーター、
そして転がっていたマルボロを手にとり再び車の側に近寄る。
「ありがと、八戒さん。これからよろしくね」
悟空達に向けたのと同様の笑顔を運転席に向ける。
感謝の言葉は先程の三蔵への説得に対するものだろう。
「ええ、よろしくお願いします」
同じく笑みを向ける八戒。
「ありがと、三蔵サマ」
助手席側へと向かい、そう言ってマルボロを三蔵へ手渡す。
「サマは要らん。うぜぇ」
受け取って封を切り、一本取り出して火をつける。
「ん……ありがと、三蔵」
そのとき八戒は気付いた…の手が僅かに震えていることに。
先程の態度がブラフであることは看破していたが、
当座の目的を果たして気が抜けた、という風でもなさそうだ。
『まるで…泣き出す寸前の小さな子供みたいですね』
八戒がそんなことを思っていると、三蔵がふと、目線を上げた。
「……」
「ん?」
蒼の瞳を見据える紫暗の瞳と、隠しきれない揺らぎを抱えながらもそれを真っ直ぐに見返す蒼。
先に目をそらしたのは三蔵だった。
「……何でもねぇ。早く乗れ。
悟空!悟浄!手前ぇらも早くしろ!」
に向けた言葉を誤魔化すように、悟空達を急かす三蔵。
『……三蔵も気が付いているのでしょうか?』
八戒には何故か無性にそれが気になった。
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