sai yu ki

最遊記 act2. 03


「そうだ三蔵、これ用意できましたから」
朝食を終えた後の珈琲と一緒に八戒が三蔵に一枚の書簡を手渡した。
「なにそれ?」
不思議そうな顔で悟空が三蔵の手元を見る。
「玄奘三蔵法師から各地の寺院に宛てた手紙ですよ。
 『部下を妖怪の調査に派遣したので協力を要請する』って内容です。
 ホントは昨日三蔵に書いて貰ったんですけどね。
 新しすぎて嘘くさかったのでちょっと細工しちゃいました♪」
「しちゃいました♪って…」
悟浄が何かを言いかけて口を閉ざした。同居人の器用さと多芸は重々承知しているが、
(偽造技術まで持っていやがったか)
「三蔵がちゃんと三蔵法師の恰好して行けば要らないんだけどね。
 そうするとまた逗留して説法だの法要への参加だのって話になるから」
が口を挟んだのは話を偽造ネタから逸らすためだろうか。
「三蔵どっか行くの?」
小首を傾げた悟空にの頭を指でぐりぐり突く悟浄。
「昨日チャンが言ってたろーが。俺等の今の状態なんとかすンのに三蔵に寺院で調べて貰うって。
 あ、猿の頭じゃ覚えてないか、悪ぃ悪ぃ」
「俺も行く!」
その指を撥ねのけると悟浄には構いもせず、三蔵に向かって主張する悟空。
「邪魔だ」
それを一言で却下した三蔵の淡泊さに慌ててがフォローに入った。
「悟空にはあたしのお手伝いして貰えると嬉しいな。
 三蔵がいつもの法衣脱いでるんだからこの際全部お洗濯したいし。手伝ってくれる?」
「…………うん、わかった」
不承不承という風情で頷く悟空と『もう少し言い方があるだろう』と非難の目で訴えるを見て、
三蔵は小さく舌打ちをした。
「ちっ。手前ぇはガキに甘すぎんだよ…
そう言って睨んでも眼差しを変えずにいるに対して三蔵は溜息を吐くと、
一分ばかりの間を置いて悟空に向かい合った。
「悟空、俺が戻るまで預かっていろ。持っていって寺の連中に見られたらウゼェ」
その言葉と共に三蔵が悟空に手渡したのは、三蔵法師の装束の一部である小さな金冠。
魔天経文と並ぶ、光明三蔵から玄奘三蔵へと受け継がれた形見の品。
「う、うん!」
嬉しそうな悟空の返事を聞いての気配が漸く和らいだのを感じた三蔵は
カップに残る珈琲を飲み干すと席を立ち、傍らの荷物を取り上げた。
「…行ってくる」
「行ってらっしゃい。ほ〜ら悟空、パパのお見送りしよーね♪」
「誰がパパだ、誰が」
三蔵の見送りの為に悟空を抱きかかえて玄関に向かう
「アレ、おまえ的にはおっけーなワケ?」
まるで若夫婦と子供との光景であるそれを眺めつつ、悟浄が八戒に訊ねた。
「ままごと遊びの邪魔をするほど僕は狭量ではないつもりです。ましてやあれは悟空のためですしね」
「ほぉ〜」
疑わしげな悟浄の視線を意に介さず八戒は言葉を続けた。
「5年後には実生活で実現する予定ですし」
「…………さよで」
(どういう予定だそれは)とか(何の根拠で5年なんだ)とかツッこむ気力もない。
「ところで悟浄」
「ん?」
穏やかな声色で八戒に呼びかけられるときはロクなことがない。
内心で身構える悟浄を知ってか知らずか八戒はにこやかな笑みのまま、玄関に行った3人には届かないトーンで話す。
「何を苛ついているのかは訊きませんけど、悟空に当たるのはほどほどにしておいてくださいね。
 ただでさえに負担を強いているのに、それ以上に手間を掛けさせる訳にはいきませんから」
「な、んだよ、今のは三蔵が…」
「確かに三蔵の方が目に見え易いですけどそれだけに対処もしやすいんです。
 悟浄、貴方まさか自覚がないなんて言いませんよね?」
八戒の言葉に悟浄はちらりと玄関に目を向け、ゆっくりと視線を戻すとアルカイックな表情で八戒を見た。
「…なぁ。八戒」
「何です?」
呼びかけておきながら八戒から返答が返ってきたことに驚いたような表情を浮かべる悟浄。
暫く考え込んでいたがやがて口を開いた。
「……イヤいいわ。なるべくチャンにはメーワクかかんねぇように気ィつけるから。
 ごっそーサマ。後かたづけは任せる。俺はベッドからシーツとか剥ぎ取って来るわ」
そう言うと悟浄はダイニングとして使っているこの部屋から出ていった。


「はい、これでおしまい。ありがとね悟空」
もおつかれ〜」
洗濯物を干し終え、空になった篭を抱えてがお手伝いの終わりを告げると悟空はそれに応じた。
「ふたりともご苦労さまです。今日は天気がいいですから洗濯物もよく乾きますよ。
 冷たいお茶を淹れましたから休憩にしましょうか」
ふたりを労う八戒。確認を取るような口振りだが、既にお茶の入ったグラスを盆に載せ中庭のベンチに置いている。
「あれ?悟浄は?八戒と一緒に掃除してたんじゃないの?」
「自分の部屋だと思います。あの人、家事全般まったくダメですから掃除の役には立ちませんし」
の問いに八戒が答える。言われてみると、グラスは3つしか用意されていない。
「じゃ、八戒ひとりで中全部?…ごめん、大変だったでしょ?」
「大丈夫ですよ。元々きれいでしたし慣れてますから」
済まなさそうに謝るに穏やかな笑みを返す八戒。
「サボってる悟浄が一番悪い!俺、連れてくる!!」
そう言ってお茶を一息で空にすると、金冠を手にウッドデッキから室内に駆け込んでいく悟空。
「あ、ちょっと待ってください悟空…って、行っちゃいましたね」
「悟浄、やっぱり機嫌悪いの?」
「機嫌が悪いと言うより、鬱屈を溜めてるようなんですけどね」
心配げなの問いかけに、言葉を濁す八戒。
矛先が悟空に限られており、子供化してから始まったということは、鬱屈の対象は…
「ここは悟空に任せましょう。ムードメークは彼の担当ですし」
そう言ってにグラスを勧めたものの、八戒にも確とした自信はなかった。


中庭からと悟空の笑い合う声が聞こえる。
仲の良いふたりを見たくなくて、悟浄は廊下側のベッドの上で蹲った。
あんな優しい眼差しで見下ろされることなどなかった。
伸ばされる手は頭を撫でる為ではなく頬を打つ為にあった。
穏やかに名を呼ばれることもなくヒステリックに罵られるのが常だった。
たおやかな両腕は我が身を抱きしめる筈もなく兄に縋りつくその白さが脳裏から離れなかった。
それでも母親だった。
それが母親だった。
じゃあアレは何だ?
「ごじょう!」
ノックもなしに飛び込んできたのは悟空。律儀に金冠を抱えている。
「サボんなよな、悟浄!」
「俺が手ぇ出すより八戒がひとりでやったほうが早いンだからしゃーねーだろ?
 おまえだってチャンの周りでうろちょろしてただけじゃん」
「う…で、でもは『ありがとう』って言ってくれたもん!」
役に立ったという自信がいまいち持てない悟空は言いよどみつつもそう切り返す。
その言葉に、悟浄の心の何処かが疼いた。
あのひとから欲しくて、望んでも望んでも得られなかった言葉。
「……う、ごじょう、悟浄!」
悟浄が沈み込む思考を浮上させると、目の前に悟空がいた。
己が欲したものを全部与えられている子供が。
ドカッ!
それはほとんど条件反射だった。
『子供』の鳩尾を足の裏で蹴り飛ばした悟浄。普段ならば難なく受け身を取れるはずの悟空だが、
不意を突かれたこともあって身を捩って金冠を庇うだけで精一杯、
しかも蹴り飛ばした先はスプリングの効いたベッドではなくナイトボード。
「〜〜〜〜〜っ」
「何の音ですか?悟空!悟浄!」
「ど…どうしたの?悟空」
痛みに蹲る悟空を物音を聞きつけて部屋へ駆け込んだ八戒とが抱き起こす。
「悟空?どこ痛い?…頭?」
「瘤ができてますね。なら大丈夫。とりあえず氷で瘤を冷やしましょう。
 、あとはお願いしていいですか?」
八戒が呆然としている悟浄にちらりと視線を向け、に目配せをした。
「うん…」
「歩けますか?悟空」
「だい…じょぶ」
八戒は悟空の手を引いて部屋を出ていった。
「悟浄」
の声は尖っていた。
「どうしてあんなことしたの?悟空が今ちゃんと動けないこと、判ってるでしょう?」
悟浄はの顔を見ると、目を伏せた。
「悪ぃ…」
「謝るのはあたしにじゃないでしょ?あたしは理由を訊い…て……」
問いただすの言葉が途絶えた。暫くして、悟浄の両頬がひんやりとした掌で包まれた。
「悟浄…どうしてそんな泣きそうな顔で笑うの…?」
「わかんね。チャンに甘えてるサルに、別に羨ましいっつー訳でもねぇのに腹が立った。
 チャンに怒鳴られて…安心した」
「安心?」
「頭の上から優しい女の声がするの、慣れてねぇから」
悟浄の家庭環境についてある程度は聞いていた。
なさぬ仲の母親が居たこと、頬の傷はその母親がつけたものであること。
ちょうど虐待を受けていた頃の身体になって、自分を虐待していた母親とは違う『母親役』が目の前にいて。
(古傷、抉っちゃってたんだ…)
その傷は、には癒せない。
「あたしが尼寺育ちだってことは言ったよね。母さんがその尼寺の庵主だったのは言ったっけ?
 庵主って結構忙しいから、あたしは他の尼僧達に育てられたの」
唐突に、がそんなことを言い始めた。
悟浄が浮かべた不思議そうな表情をひとまず取り置いて、は話を続ける。
「あたしが10くらいのときだったかな?
 尼僧のひとりが母さんに『子供も育てないなんて母親失格だ』って言ったの。
 そのひとはあたしのことを不憫に思って言ったんだろうけど、あたしは凄くイヤだった。
 …構ってくれなかったから余計に思慕が強かったのかもね。
 『母さんの悪口言うな』ってそのひとに食って掛かったわ」
「…」
話が繋がったのか、悟浄が考え込むように視線を下へ向けた。
「でも悪口って当たってなかったらそれほど気にならないのよね。
 食って掛かるほど気にしてたってことは、実際自分でもどこかでそう思っていたのかも」
思慕の源がどこにあったのかは判らない。彼女の態度は常に自分を苛んだ。
それでもただただ、慕わしかった。
「悟浄、悟空にじゃなくてお母さんを間違ってると思わせたあたしに腹が立ってたんじゃない?」
「…チャンが悪い訳じゃねぇ」
「だから悟空に当たっちゃったのね?」
やり場のない憤りを、当たりやすい相手にぶつけた。
思い返せばそのとおりだと、悟浄は頷く。
「あたしは悟浄のお母さんを知らないし、正しいとか間違ってるとか、簡単には言えない。
 けど、お母さんが大事だって気持ちはわかるし、そう思うことは誰にも咎められない」
優しくそう言っただが、一転、キビッとした口調に切り替える。
「だ・け・ど!
 悟空に怪我させたのは悪いことだから。
 罰として、悟浄には午後から今日中のお手伝い全部してもらうからね。
 それと悟空にはちゃんと謝ること。普段の悟浄モードに戻ってからでいいから」
そう言って悟浄の背中をひとつ叩くとは部屋を出ていった。
「……サンキュ、
はこの気持ちの解決策を示唆しなかった。
自力で『普段の悟浄モード』に戻れると信じていればこそ、時間をくれた。
「…全く、いーオンナには手が届かねぇジンクスでもあるってのかね」
隣室で悟空の手当をしつつを笑顔で迎えているであろう深緑の男を僅かに羨んで、悟浄は苦い笑いを零した。


Copyright(C)2015 Seiya Houki All rights reserved. designed by flower&clover